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hytk1225

噛め噛め

書きツイートと無駄の表象と経歴かるた

書きツイート

ツイートしたくなる瞬間がある。

それは突然襲ってくる。パッと一文、ツイートしたい文章が頭に浮かぶ。それを裏垢でツイートする。たいてい5分以内にいいねがつくかつかない。つかなければすぐに消す。

この過程には、内省のプロセスが欠落してしまっている。では、改めてツイートしたい一文を一度紙面上に書いてみるとどうか。ツイートしたいと思った瞬間と、書き起こすまでの時間と、書き終わるまでの時間に、タイムラグが生じる。そのわずかなタイムラグが、内省のプロセスに繋がりうるのではないか。

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やってみたところ、内省以上に、めんどくささに襲われる。いちいち思った時にノートを取り出し、筆箱を取り出し、シャーペンを取り出す必要があるからだ。数年前の多摩美の卒制で、展示期間中、ずっと巻物にひたすら文字を書き続ける作品があったが、それに通ずる業の行為らしさを感じさせる。 

書きツイートと無駄の表象

そのめんどくささは、義務感も起因している。例えば、こないだTLで見かけたおもしろ動画で、The Cups Songがかかった途端に両手に持っていた物を逆さにする動画があった。

The Cups Songには本来空のコップを逆さにする振り付けがある。朝ごはんをさあ食べようとしていたとき、飲み物片手に助手席でドライブを楽しんでいたとき、The Cups Songがかかりだし、呪いのように、少年は手に持った食べ物を逆さにし、当然食べ物は地面に落ちる。The Cups Songがかかると生じる、食べ物を落とすという義務には、めんどくささがある。

書きツイートも同様で、思いついたら、ノート→筆箱→シャーペンを取り出し、思いついた一文を紙の上に書き起こさなければならない。先述の動画のような、義務感とめんどくささが同居している。

しかも、しらけてしまう。頭に浮かんだときは、獲れたての魚のようにピチピチと生き生きした思いつきが、15分もしないうちに色褪せていく。内省とは本来そのような効能をもたらす行為だが、かえって内省で失われる思考の新鮮さがある。

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ただ改めて見返すと、イチハラヒロコのような、一文一文の"主張"としての威力が感じられる。

経歴かるた

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ところで昨日思いついた。著名なデザイナーやアーティストの顔写真が取り札。経歴が書かれた札が読み札。顔写真から感じられる経歴の気配の違いを感じ取れる。顔写真に潜む学歴社会。